運命とちょっと違う君が

恋人っぴがつれていってくれた小さな小屋の夜みたいな、決定的に何かが変わった夜があって、大切な夜があって、かけがえなくて愛しくて、そういうのが一緒だったらいいなと思う。

交換可能ではないこの感じが一緒だったらいいな。

大切なのに大切にできないなんておかしいでしょー。ねっ。そうでしょ。早く寝よう。おやうに。

映画と雨降りの朝

恋人とケンカしまくるのやめたい。

こっちのケツを叩くくらいの度胸がある男でいろ、という話。性癖の話ではなく、性格の問題?かな?恋人にお父さんを求めているのは悪癖だとは思うんだけど治らない〜。

ケンカなんか時間のムダ!でもないんだろうけどなるべくしたくないし、会える時間が少ないならそれはなおさら。と思うのはめちゃくちゃ最悪なんだけど、しなくていいケンカをしているのは事実なはず!

部屋はちょっと綺麗なんだけど無気力なんだな。

昔泊まった友達の家のベッドがすごく居心地よさそうだったのを思い出す。わたしも恋人とああいうベッドで一緒にねむりたい。

最近は思い出のことばかり考えている。

初めてコピーした曲のこととか思い出す朝。

ほにゃほにゃほにゃ

ひかさの解散が受け入れられなくて何も言えない。

春なのに寒すぎた札幌を思い出す。但野さんの誕生日を思い出す。東京で食べた蒙古タンメンを思い出す。梅田で見た猫を思い出す。札幌で食べたみそラーメンを思い出す。

あけがたの美しさは人生以上人生未満。

会いたいけど寂しい。困っちゃうよー。

好きなバンドの解散ライブは見たくないけど好きな人が死ぬところはちゃんと見てないといけない

みたいな感じ。

終わってゆくものがこの世で一番大嫌いで、恋も友情も映画もマンガも小説もテレビもライブも終わる瞬間がものすごく嫌だった。

ああ、これもやっぱり終わるのか、終わらないものはないのか、と思い続けながら24年間生きてきた。

あと数日でわたしは25歳になる。なんとなく、区切りみたいな感じがする。何を区切ればいいのかわからないけれど、なにかを区切らなければ、みたいな気持ちになる。

自分でちゃんと終わらせる。そういうことができないといけないのかな。

終わってゆくのが嫌で、終わってゆくものをちゃんと見てこなかった。目をそらし続けた。その結果の25歳の自分。

今回こそはちゃんと終わらせないといけない。いけないことはないんだけど、ちゃんと終わらせたい。終わって欲しくなんかないけど、絶対の絶対の絶対の絶対に嫌なんだけど、どうしようもない。わたしには何もできない。悲しすぎるけど事実だ。好きな人が苦しんでいるところを、見つめたり声をかけたり想ったりすることくらいしかできない。苦しいことをわたしは絶対に取り除いてあげられない。でもそういうことばかりなんだろう。今まで生きてきてやっとわかったような気がする。

ちゃんと見つめて、ちゃんと終わらせたい。好きな人が死んでゆくところをちゃんと見つめたい。

好きなバンドの解散ライブって、もしかしたら今まで一度も見てこなかったんじゃないかな?

見なかったら終わってないような気がして、見れなかった。

今もまた見れない。あのバンドもこのバンドも見れない。黙ってなくなってゆくのを見てる。悲しい。寂しい。でもしょうがない。見れない自分が悪い。

でもこれだけはちゃんと見ていないといけない。

ずっと考えていた夢がひとつ叶えられなくなってしまって、こんなにも人生に対して寂しい気持ちになったことはないくらい寂しい。未来が寂しい。

頼むから嘘であってほしいと今も思う。変わらずいてほしい。なんにもなかったみたいに前みたいに暮らしたい。もう無理とわかっても捨てられない。見せてあげたかったものはいっぱいある。頭の中はなんで、ってそればっかり。

そんな風に不安しかないけどちゃんと見ているためにがんばるしかない。人生最大の試練を好きな人を抱きしめるように愛せるかな。

簡単に言えば人生がクソつらいって感じなんだけど、感極まってポエまってしまった。

好きな人が死んでゆくところをちゃんと見つめる。25歳の目標。

 

昔のキラキラ

わたしのiPhoneのカメラロールには約2万9千枚の写真が入っていて、たまにそのあまりにも多すぎる写真を整理しようと思って昔の写真を見返したりするのだけれど、そのたびに昔のキラキラしたものたちを思い出して切なくなったりうれしくなったりして、やっぱり消せないまま写真はどんどん増えてゆく。

写真は消さなくても昔のキラキラに負けないように生きてないと、でも今あるものもきっと過去になった方が美しいんだろうな。

良い思い出がたくさんある人生である、それだけで今は十分なのかも。

 

恋人っぴのことをもっと大切にしたい。泣いちゃう。ずたぼろの日曜日だって大切。