ハム速みてるおっさん

人を信じるということが苦行すぎる!と思う。本気で信じて裏切られて本気で悲しくて本気で嫌になったからといってそこで死ねるわけじゃないしリセットボタンも押せないならどうにかしてそこから少しでもなんとかしていい日々を過ごせるように努力するしかないし、そこまでの過程を誰かにおしつけて赤ちゃんのように助けてもらうこともできないしちゃいけない。自分で自分の心を鍛える作業はなかなか辛く苦しい。

今までの自分が報われていく瞬間だってこんなにたくさんあるのに悲しんでいるヒマがあるなんて全然よくない。正直落ち込むことなんて死ぬほどあるけどでもアイドルだって笑ってるしちょっとだけどうにかしようね。毎日は手づくりだもんね。作っていかないと。

 

最近思ったことふたつ。ひとつめ。

子どものころお母さんが作ってくれる餃子が大好きだったんだけどなんであんなに好きだったのかな?ってふと思ったから考えてみると、お母さんは仕事が忙しくてあんまり一緒にいられないから餃子を作るときはたいてい休みの日でゆっくり家にいてくれるしわたしが好きな餃子をわたしのために一生懸命作ってくれていて、具を皮で包んでいるときなんかはものすごく“手をかけてくれている”感があってすごーくうれしかったんだよね。大人になってみるとちょっと時間がかかるだけでそんなに難しいことじゃないのになーって思うけど子どものころはそれがとてもうれしかった。自分のためにこんなに手をかけてくれているんだな〜という安心感があった。おまけにわたしもお手伝いする!なんて言えばお母さんに包み方なんかをおしえてもらいつつ少しは甘える時間もできるし、そういうわけで“休みの日に餃子を作ってくれるお母さん”というのは子どものころのわたしの幸せの象徴だったのだ。だからあんなに餃子が好きだったんだなあ。なんつーか健気すぎて泣けてくるんだけど、さみしがりの子どものまま大人になってしまったことの原因がよくわかってしまい白目むきそう。

 

ふたつめ。

“結婚は人生の墓場”、“だからしないほうがいいよ〜”とかって周りの人はよく言うけれど、人っていつか死ぬじゃん?ってことはいつかは本物の墓場が必要じゃん??だったら結婚という墓場も必要なのでは???という謎理論が確立されかけているんだけどどうなんだろう。

なんで急にそんなこと思ったのかはよくわかんないんだけど、いろんな人の話を聞いてたらふと“結婚という墓場も必要なのでは!いつか来るときのためにひとまずこの墓場に入っておくべきなのでは!”と思った。墓場に入る準備というか墓場までの道のりの相棒というかなんというか。どうせ入るならより幸せで楽しくてかわいい墓場がいいけどさ。いつぞやにツイッターで見かけた「ヴィトンのお墓ほしい」くらいの突き抜けた感じがほしいな〜。わたしだったらざらめ付きのおいしいカステラでできたお墓くらいでいいけど。

 

なんか久しぶりにいっぱい書いちゃったけど風邪ひいてるしとっとともう一回寝なきゃ。

見返りのいらないラブをやりたいな。抱きしめたら抱きしめたぶんだけ抱きしめられたいから、まだぜんぜん恋してるんだな。早く余計なことは考えなくてもいいようになりたい。朝はやっぱり今日も美しくていい始まり!世界が朝を届け続ける限り幸せでいたい。

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